シュタイナーの21世紀への予言 2023-03-09
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昨年11月に開催されたアメリカ・ニューハンプシャー州の美人コンテストで、トランスジェンダーの男性が優勝した。
その優勝者は他の入賞者よりゆうに2倍の体格をしているのである。顔も、失礼ながら私には、他の人の方が美人に思えた。
ツイッター投稿者は、これに批判的な立場のようである。ネットには「行き過ぎたポリコレ」というような言葉も見られた。実は、私もこれに同意せざるをえない。
件のコンテストの入賞者の集合写真を見ると、この優勝者だけが「浮いている」のだ。これは、明らかに主催者に何らかの意図が働いた結果としか思えない。これは、単にはやりのLGBTの時流に乗ったと言うことだろうか?
これまでこのブログでは、霊的進化に対する対抗勢力が世の中の出来事の背後で働いているというような記事を数多く載せてきた。では文化に対する攻撃は無いのだろうか?対抗勢力の攻撃は、当然、人間のすべての方面に及んでいるはずである。
著者は、スティーブン・クリミ、この記事はシュタイナーの「予言」を幾つか紹介しており、その一つが文化の問題に関わっている。天使は、人間の睡眠中に、人類の未来にとって必要なイメージを人間に与えているのだが、人間がそれを認識できないと、それは、「意識的な霊的活動ではなく本能となり」、「...性生活と結びついた本能は健全なものではなく、有害な形で発生することになる。...ある点で、醜さは美になり、美は醜さになる」というのだ。
人類が数千年にわたる進化の中で重要な転換期にある今、オカルト結社の古臭い頭の中に隠されていた未公開のものを明るみに出したのだと信じるしかないのだ。
シュタイナーは、2000年代初頭の人類は、2つの選択に直面していると考えている。一つは、次の進化段階への到達が私たちの意志、すなわち私たち自身に対する霊的な働きかけによって起こるか、あるいはそうではないか。
もし人類が、未来に関する重大な霊的啓示を眠ったままにしておくとしたらどうでしょう。その場合、天使たちは人間の意識の中で彼らが織り成す絵が意図することを達成するために、別の手段を試さなければならないでしょう。第三千年の始まりの前に。しかし、この仕事を天使たちが、人間自身が参加せずに、睡眠中に行うことを余儀なくされたらどんな結果になるでしょうか。そうなると、意識的な霊的活動ではなく本能となり、したがって有害なものとなります。
誕生と受胎の神秘、全体として性生活と結びついています。性生活と結びついた本能は健全なものではなく、有害な形で発生することになる。これらの性本能は単なる異常ではなく、社会生活に張り込み、それを構成するでしょう。科学の専門家は、それは人類の進化における自然で必然的な発展だと言うでしょう。(人間は)ある種の性的衝動の異常さに従うことに満足を覚えるようになり、それを超人的な、慣習からの自由な、広い心を持った、特に高度な発達の証拠と見なすでしょう。
我々は、現在の性の泥沼についての、100年前の明確な予言をもっている。
2017年以降、さまざまな児童虐待の逮捕者が劇的に増え、裁判にかけられない人たちの程度が明らかになった。メディアの沈黙、司法の妨害、政治的追放、ソーシャルメディアの検閲。
シュタイナーにとって、神は天使の代理を通して近づいてくる。他の伝統では、それらを「高次の自己」、「ミューズ」、「同盟者」、「デーモン」等と名付けられている。起きている間に、自分自身に対するある種の神聖な働きかけがなければ、これらの味方は私たちの意識的な注意に彼らの「絵」をもたらすことが非常に困難である。
これらの絵は、シンボル、アレゴリー、幾何学、神話に符号化されたメッセージである「パックされた思考形態」と呼ぶことができる。文字を読むだけでは、流砂とともに沈んでしまう。私達は、情報を得るために読むことしかできないところまで脱教育されてしまった。象徴的な思考も、活発な想像力も、ほとんど失われている。かつて私たちの精神の中で機能していた器官は萎縮してしまったのである。
天使は霊的に不活発な人々に、唯一の開口部である睡眠を通してコンタクトを取らなければならないのだ。シュタイナーと同時代のフロイトが、イドとリビドーの組合わせ、つまり意識の代わりに本能と呼んでいたものによって、これらの霊的刻印は変質し、異常な性欲によって表現されるようになる。そこから、肉欲から霊的なものへの反転が起こるのである。
霊的な結合という言葉には、性的な響きがある。歓喜、エクスタシー、情熱、憧れ、至福、貪欲、熱狂などは、性的なものと霊的なものの両方の飢えを表現している。
このような世俗的な欲望と神的な欲望の融合は、文学と同じように長い間続いてきた。
最愛の人は地上におけるダブルであり、ワインに酔うことは霊的な体験である。恋人への献身は、もともと女神崇拝であり、後に宮廷での崇拝となったと正当化することができる。しかし、それが性的刺激の名の下に苦痛、虐待、屈辱を与えることに発展すると、シュタイナーが言うように「異常」な行為に移行してしまうのだ。
シュタイナーが予言した「社会生活の中に入り込む」この異常なものすべてについては、現在ではすべてそうなっている。
フェティッシュ・ウェアは今や商品化され、ファッション業界に浸透した。ポップミュージックには、同じ声を持つ女主人姿のロボットがあふれ、心理学研究室で作られたエレクトロビートで、性的器官への賛美を歌いながらプリプリした男女が回旋する。
社会学者は、分裂したセクシュアル・アイデンティティを持つ事の進化的必要性、インターセクショナリティ的寛容への社会的信用、トランスジェンダーである幼児の文化的利益を賞賛することにより、簡単に博士号を取得している。
私達の時代は人口の増加にかかわらず、地球上の全ての人を養い、住まわせ、教育し、人道的に雇用するためのテクノロジーと資源を持つ最初の時代である。しかし、最も恐ろしい問題を解決できるアイデアや実証済みのテクノロジーを見せられても、ほとんどの人は受身に退いてしまう。私たちは、醜いだけでなく、無力になってしまったのだ。
「ニューエイジ」運動の一環として、人間の魂という概念は、歴史上最も声高な知的キャンペーンによって損なわれ、芸術は科学から強制的に切り離され、科学そのものが深い疑念の対象とされた。
私たちの周りに見られる醜さが、意識的に醸成され、そのように組織化され、国民の大多数が、私達の文明が築かれた思想と方法を次の世代に伝える認知能力を失っているという事実に直面しなければならないだろう。この様な能力の喪失は、暗黒時代の主要な指標である。そして、新たな暗黒時代とは、まさに私たちが置かれている状況なのだ。
そこでは、抽象表現主義、無調音楽、筋書きのない文学、分断された彫刻、人間の共鳴する側面を持たない建築等が、社会主義に対抗するという理念のもとに促進、強化された。
抽象表現主義芸術は、社会主義に対する西洋の個人主義の芸術的優位性を示すために、雑誌とギャラリーのスポンサーシップを通じて昇華された。
そして、ピエト・モンドリアンやワシリー・カンディンスキーのような芸術家たちが、ある種の集団主義的な理想のために、自分たちが創り出す芸術への個人の関与を放棄しているという皮肉。
大衆が理解できないような「精神的・心理的エリート主義」を自ら主張し、一般大衆の味方と言いながら、彼らを軽蔑していた。抽象芸術は一般人の知性の上に浮いていたからである。
パリレビューはかつて、文学的キャリアを目指す人にとってのゴールド・スタンダードであった。この雑誌は、当初からCIAの資金提供によるサイコ・ショップだった。
無調の音楽や、学校、刑務所、病院がすべて同じ構造になっている建築物など、私たちの魂に澱のような響きを与えている例を挙げればきりがない。もちろん、あなたに魂があればの話だが、ポストモダニストや文化的マルクス主義者はそれを否定するだろう。つまり何十年もの間、あらゆる芸術において、非人間的な醜さと学術的な理論が、古典的な影響を受けた芸術作品に取って代わり、芸術家自身が、美しい芸術や文学の歴史から得た自らのビジョンと想像力ではなく、支配する学術僧団(あるいは官僚僧団)のために創作しているということである。負のフィードバック・ループである。 かくして、シュタイナーの天使たちは、実に多くの仕事をかかえているのである。
この美の喪失は、私たちに毒を注入しているのと同じ「人々」による計画された努力として理解しなければならない。
今地上に広がっている、光の霊が活躍し続けるために必要な正しい要素に混乱をもたらすことが、これら闇の霊の主な関心事となるであろう。彼らはこれらを間違った方向へ押しやろうとする。私はすでに、可能な限り逆説的な、そのような間違った方向の一つを話した。人間の身体はある種の霊性が宿るように発展していくが、闇の霊の指導のもとにますます広がっていく物質主義的傾向は、これに対抗して物理的手段で対抗していくだろうと指摘したことがある。
闇の霊が宿主である人間を鼓舞して、まだ幼い人々の魂から霊性への傾きをすべて追い出すワクチンを開発し、それが生きた肉体を通じて遠回しに行われると話した。今日、身体はあるものに対して予防接種を受けている。将来、子供たちは、確実に製造できるようになる物質で予防接種を受け、それによって免疫ができ、精神生活に関連した愚かな傾向ーもちろん、ここでは唯物論者の目には「愚か」と映るーを身につけないようになるだろう。
健全な人々は、身体以外のことは何も語らなくなる。霊や魂のようなものを考えるようになるのは、病気の兆候とみなされるだろう。このような考え方をする人は病気だとみなされ、そのための薬が見つかることだろう。
2つの生命哲学は完全に対立することになる。一つの運動では魂と精神の現実を満たすために、概念とアイデアをどのように発展させることができるかを考察する必要が出てくる。他の方は、近代唯物論の継承者であり、身体を「健康」にするためのワクチンを探すだろう。つまり、この身体がもはや魂や精神などというくだらないものを口にせず、エンジンや化学の中に生き、宇宙の星雲から惑星や太陽を発生させている力を「健全」にとらえるような体質にするのである。物質主義的な医師は、人類から魂を追い出すよう求められるだろう。
「私の魂は死んだ。」神経障害を負ったアストラゼネカのワクチンボランティア、2020年9月。
世界のテクノクラートと呼ぶべき人たちが、精神的なつながりや強化、成長、進化に関するあらゆる方法を中止させたり、ルートを変えたり、あるいは解体させるために、意識的かつ協調的に取組んできたのである。あらゆるテクノクラート的な管理システム(社会的信用度スコアリング、コンタクトの追跡、「全パスポート、モノのインターネット)の究極の姿である予防接種は、エラナ・フリーランド(シュタイナー主義者)が「フルスペクトル支配」と呼ぶものの一部である。
これはワクチンではありません.私たちはワクチンという言葉を使って、公衆衛生上の免除のもとにこれをこっそり作っているのです。これは、脂肪に包まれたmRNAを細胞に送り込むものです。これは、人間の細胞を刺激して病原体を作り出すように設計された医療機器です。
モデルナのウェブサイトでさえ、人体を単なるアプリと見なす事で、彼らのAIヒューマン・コンピュータ・インターフェースの意図を漏らしている。これは、異なるプログラムと互換性を持ってプラグアンドプレイできるように設計されています。私たちの場合、"プログラム "あるいは "アプリ "は、mRNA薬剤、つまりタンパク質をコード化するユニークなmRNA配列です。
シュタイナーにとって、アーリマンとルシファーはエントロピーや加速度のような量子化できる力ではなく、意図的に人類を進化の道から逸脱させるが、一方で霊的な道と唯一者への回帰を可能にするのに、必要な条件と個性化を生み出す、広大な力を持った実際の「霊的存在」である。「霊」だけでなく、実際に受肉した存在である。シュタイナーのアカシックレコードの読み方によれば、ルシファーは紀元前3千年紀に中国で受肉した。彼が何を成し遂げたかはわからない。シュタイナーによれば、キリストは2000年前に、バランスをとるものとしてやってきて地球の中心部に行き、「霊化」したという。カトリックでは、これを「キリストの地獄への降下」という。
今の私たちにとって重要なのは、アーリマンが転生して私たちの間にいることだ。私たちは何時間でも無数の邪悪な候補者を思いつくことができるが、シュタイナーは、転生した場所はカナダかアメリカであり、彼は「ジョン・ウィリアム・スミス」のような普通のイギリス人らしい名前であろうとほのめかしている。人智学者テリー・ボードマンによれば、彼は2000年頃に生まれ、2030年代には世界の舞台で存在感を示すようになる」。1922年にシュタイナーは、彼自身が80年後にアメリカに転生すると主張しており、この記事を書いている時点では大学生になっていることになる。
ジョン・D・ロックフェラーは、薬草学者、ホリスティック医、ホメオパシー療法家、助産師、そして錬金術のスパギリック研究所をすべて排除して、医療業界を独占してしまった。
この、自然に根ざした治療法から化学的、物理的な調合や外科的処置へと移行してきたアーリマンの動きは、園芸の分野でも反映されている。ドイツは人工肥料を合成し、使用した最初の国である。
シュタイナーの友人の一人が、彼の精神科学の教えがなぜ定着しないのかと尋ねたとき、彼は、化学薬品で育てられ、月や星や星座の動きとリズムを合わせなくなった食物そのものに、もはや霊的な質がなくなっているからだと答えたのである。
シュタイナーのもう一つの予言は、化学物質と人工受精のために2000年代にミツバチの個体数が減少したことである。
アーリマンの最終のゲームは、AIによる人類の完全支配である。1993年にジョージ・HW・ブッシュがぶち上げた闇のアクエリアン「新世界秩序」計画は、もはや裏取引や暗号記号、ディストピア映画の中に追いやられてはいない。それは私たちの目の前にあり、彼らのウェブサイトにも掲載されているが、私たちはまだそれを見ていない。シュタイナーが論じている睡眠は、今や人類の膨大な割合で年中無休となっており、人類の進化は、完全なロックダウンと生物-AIインターフェースの悪夢の間に夢で終わりかねないのだ。
ルドルフ・シュタイナーがボルシェビキ革命時の1918年に行った予言がある。もし社会主義が、今日現れている粗雑な唯物論的形態で、人類に自らを強制しようとするならば、それは人類に最大の不幸をもたらすだろう。それは、私たちの集団の彫刻の足元にいる、あらゆる形態のアーリマンによって象徴されています。
アーリマンの地上への出現について、著者は、テリー・ボードマン氏の「2000年頃に生まれ、2030年代には世界の舞台で存在感を示すようになる」という説を紹介しているが、この時期については、人智学派でも諸説があり確定はしていない。
私は、やはり、シュタイナーやソロヴィヨフの予言を考えると、現在の世界的な動乱の後に現われるのだろうなとは思っているが、勿論、いつと言うまでの知識は無い。